翻訳と辞書
Words near each other
・ ジェームズ・ハント
・ ジェームズ・ハーグリーブス
・ ジェームズ・ハーデン
・ ジェームズ・ハーバート・ヴィーチ
・ ジェームズ・ハーラン
・ ジェームズ・バスビー
・ ジェームズ・バズビー
・ ジェームズ・バッジ・デール
・ ジェームズ・バトラー
・ ジェームズ・バトラー (初代オーモンド公)
ジェームズ・バトラー (第2代オーモンド公)
・ ジェームズ・バラ
・ ジェームズ・バリー
・ ジェームズ・バリー・ミューニック・ヘルツォーク
・ ジェームズ・バンアレン
・ ジェームズ・バン・アレン
・ ジェームズ・バートン
・ ジェームズ・バーナム
・ ジェームズ・バーナード
・ ジェームズ・バーナード (政治家)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジェームズ・バトラー (第2代オーモンド公) : ミニ英和和英辞書
ジェームズ・バトラー (第2代オーモンド公)[こう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ジェームズ・バトラー (第2代オーモンド公) : ウィキペディア日本語版
ジェームズ・バトラー (第2代オーモンド公)[こう]

第2代オーモンド公ジェームズ・バトラー(James Butler, 2nd Duke of Ormonde, 1665年4月29日 - 1745年11月16日)は、イギリスアングロアイリッシュ系貴族、軍人。
1665年、初代オーモンド公ジェームズ・バトラーの長男のオソリ伯トマス・バトラーとエミリア・ファン・ナッサウの長男として生まれた。母方の祖父はオラニエ公マウリッツの庶子ローデウェイクで、庶出ながらオラニエ家と血縁関係があった。1680年に父が急死したためオソリ伯位を継承、オーモンド公位の後継者に選ばれた。
1683年に騎兵隊長に就任、1685年イングランドジェームズ2世の即位直後に起こったモンマス公ジェームズ・スコット反乱鎮圧に貢献した。1688年に父方の祖父が亡くなりオーモンド公位を継承、同年に名誉革命が勃発するとジェームズ2世を裏切ってウィリアム3世に寝返り、恩賞として翌1689年大司馬、近衛騎兵隊長に任命された。1690年ボイン川の戦いでジェームズ2世を迎撃した後は大陸に渡り大同盟戦争に従軍、1693年ネールウィンデンの戦いで捕らえられたが、ジェームズ2世の庶子ベリック公との捕虜交換で解放されている。
アン女王の治世になるとスペイン継承戦争にも参戦、ジョージ・ルーク指揮下の海軍に所属しカディスの戦いビーゴ湾の海戦で手柄を挙げ、1703年から1707年までアイルランド総督を務めた。1710年、イギリスの総選挙でトーリー党ホイッグ党に勝利すると1713年までアイルランド総督に再任、翌1711年、大陸のイギリス軍総司令官マールバラ公ジョン・チャーチルが失脚するとトーリー党指導者のロバート・ハーレーヘンリー・シンジョンの後押しで後任の司令官に就任、北フランス戦線でプリンツ・オイゲンと共にフランス軍と相対した。
しかし、マールバラ公の失脚はトーリー党とホイッグ党の政争が絡んだ事情からであり、政権を取った和平派のハーレーらトーリー党はオーモンドに積極的な戦闘を控えるように指示、オーモンドもフランスの将軍ヴィラールと内通したり軍を動かさず終始不戦の態度を取り、1712年にイギリスとフランスの単独講和が成立すると大陸からイギリス軍を引き上げさせ帰国した。イギリス軍のいなくなった同盟軍はフランス軍に敗北(ドゥナの戦い)、スペイン継承戦争の終結に繋がった。
ところが、トーリー党は王位継承問題で内部分裂を起こし、アン女王の死後即位した又従兄ジョージ1世と結びついたホイッグ党によってハーレー・シンジョンら主要党員が弾劾・罷免され、オーモンドもホイッグ党に弾劾され全ての官職と公位及び財産を没収され、ジャコバイトと結んで反乱を起こしたが失敗してフランスへ亡命した。その後四カ国同盟戦争に従軍したりジャコバイトの再度の反乱に加わったが、イギリスへ戻れないままアヴィニョンで80歳で死去。1682年にロチェスター伯ローレンス・ハイドの娘アンと結婚、1685年にボーフォート公ヘンリー・サマセットの娘メアリーと再婚したが、どちらの結婚でも子供が無かったため、イギリスに残った弟のチャールズアイルランド貴族としてのオーモンド公位を継承した。
== 参考文献 ==

* 友清理士『スペイン継承戦争 マールバラ公戦記とイギリス・ハノーヴァー朝誕生史彩流社、2007年。










抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェームズ・バトラー (第2代オーモンド公)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.